2014年7月10日木曜日

五葷はなぜ悪い

 五葷(ごくん)とは、ネギ・ニンニク・ニラ・ラッキョウ・アサツキ(ワケギ)の玉根菜の5種類で、現代では玉ねぎも含むらしいので6種かな?

 本来、お坊さんたち(※1)は、魚肉類に加え、上記の五葷も食さないそうです。
 お坊さんたちが、魚肉類を食さない理由を調べてみると、ヴィーガンの菜食の理由とまったく同じ。ビックリしました。下記は、『精進素食について』からの抜粋
※1) 日本のような僧侶の肉食妻帯は 他の仏教国では一般的ではない。

 およそ活動の霊を持つ動物類はみな天から与えられた生命を持っている。生きんとする本能は人間と少しも変わらない。与えられた天寿を全うしたいことも人間と同様である。
 孟子は「その生けるを見てはその死を見るに忍びず。その声の哀しきを聞きてはその肉を喰らうに忍びず…」と言っている。
 心ある人は生まれるを喜びとし、死するを哀しみとする。動物の殺されていく哀しみの鳴き声を聞いてその肉を食すことはできない。故に君子は包丁を使う場所から遠ざかるのである。お釈迦様も五戒律に殺生をもって首(かしら)とし、なまぐさもの(魚介・獣肉など。また、それを使った料理)の食を断っている。

 つまり、我々の同胞を殺して喰らうなどと、かわいそうで、とてもできない。人がする行為ではないと言及している。
 君主は、さすが人の上に立つだけあって、そのあたりの心の機微もあるから肉食などできない。そうでなければ、会ったこともない民衆のための愛ある政治などできないだろう。
 君主による愛ある政治も中国で言えば、堯舜…文王あたりまでだったかもしれない。時代が進むにつれ民衆の心が修羅化して、愛ある君主の統治だけでは、浸透しなくなったのかもしれないし、同時に君主の心もどんどん落ちぶれていく。
 そして肉食三昧の君主たちに都合が悪いので、愛ある君主の時代はなかったかのように本来の君主時代は「神話時代」とされ、「理想は理想、実現は不可能」戯言とされてきた。しかし、「神話時代」の堯も舜も文王も実在した。
 歴史は勝者(肉食三昧の君主たち)の視点で書き換えられてきたので、「弱者をいたわる」真の気持ちなど、徹底的に踏みにじられた。孟子が言う「動物は食べ物ではない」というような動物愛護精神など表舞台には出て来れなかっただろう。


 さてさて、20世紀になって、中国の『張光壁』という師が、お弟子さんたちに『精進素食』をすすめている詩があり、ヴィーガンにとって興味深いので下記に紹介する。


精進菜食をすすむ

修道はすべからく口を清めることを要す
異類を見よ
捕われるところを
或(あるいは)は驚き逃げ、或は悲しみいななく
ついに脱(のが)れることあたわず
殺されていく場面に臨んで
観るも心は傷(いた)まし
臓腑(ぞうふ)をえぐられるも双目(そうもく)は閉じず
頭を断たれるも両眼は凝視せん
意(こころ)ある人には遭い難し、恐懼(きょうく)の心あらんや
情を分つこともなかりき

魚は腹を割(さか)かれても尚(なお)遊(およ)ぎ
蟹は鍋に煎らるも尚もがかん
君子はすべからく庖厨(ほうちゅう)より遠ざけと
孟子すでに解きあかせり
その死する哀しき声を聞きてその肉を 食せざるは佛の云う慈悲の行なり
異種の類いといえども
これ皆ラウム(※2)の霊なりき
吾が男女等の賢徒に望む
速やかに精進素食をせんことを

※2) 創造神のこと



 2本足なら親以外、4本足なら机以外、なんでも食べるという近代の中国において、一生懸命、殺生はダメだと説いている。「孟子の頃から言っている」ということは、中国は昔からそれだけ肉食の横行がすごかったのかもしれない。(中国は、肉食しなくても食べるものがたくさんあるのにもかかわらず…ということでもあるだろう)

 単なる己の「欲」のために、生きとし生けんとする「命」を断ってまで肉食をするという行為が「罪」だということは判る。しかし、なぜ、植物である「五葷」を嫌うのであろう?そのあたりがよくわからなくて「自分の体で実験」と思って、五葷を数ヶ月断ってみた。そして、コレくらい断ったら、五葷エネルギーも体から排出されているだろう頃に、ニンニクやタマネギを食べてみた。

 いやはや…。ビックリ

 昔、間違って「肉」を口にしたときエネルギーの強さにビビったが、アレ以上である。五葷エネは、頭の中に台風と竜巻がいっしょに起こったような「グルグル」だった。
 肉のときは、肉の種類によって、体の一部分で台風が起こったような感じだったけど、五葷エネはすごい…が…体感して、いいエネルギーとは思えなかった。
 五葷は「健康に良い」とか「パワーがある」とか言われているけど、あのパワーは、絶対に体によくないと感じた。現代人は、化学物質や過剰な砂糖を接種し過ぎているので、それを中庸に引き戻すのに、五葷や肉類パワーが必要なのかもしれないが、対処療法に過ぎない。
(病気になって病院に行けるお金のある人は、経済社会に貢献できる。社会が人を「長引く病気」にさせているのは「経済至上主義」の政策の一端)

 実験しても五葷エネは、ヴィーガンにとって、体にいいとは思えなかった。
 五葷は精力作用があるとも言われているので、僧侶たち修行中の身にはよくないとは思うが、肉を嫌うのに理由があったように、五葷を忌み嫌うのにもなにかしら理由があるはず…。

 ありました。

 同じく『精進素食について』からの抜粋

 …(省略)…伝説の由来は、後天の八卦(※3)を描いた周の文王(※4)が未だ帝座(皇帝がすわる席)にあらざるとき、あまりにも得(とく)が高きゆえ、当時の王后(おうごう=皇后のこと)が嫉妬のあまり、文王の長男を暗殺、その肉で五つの肉饅頭をつくった。そして、文王を召し、コレを食べさせて罪に陥れようとした。食さなかったら玉旨(ぎょくし=王の意図)に叛(そむ)き、食したら人倫の大逆を責めんとしたが、文王は先見の明があって、それを予知し菜食の饅頭を五つ懐(ふところ)に忍ばせ、妃から強いられた饅頭を後園(こうえん)に埋め、代わりにこしらえた(菜食の饅頭)を食した。と言われる。
 その人肉饅頭を埋めた後園から芽が出て五種類の野菜ができたと伝えられる。それがこの五種類である(五葷のこと)。この五種類の玉根菜には特別に他にない刺激性の悪臭があるのも此れが故と思われる。

※3)易経の基本の陰陽五行の根本的な考え方。これが印欧に渡り、アーユルヴェーダや西洋の星占いとなる。
※4)文王(ぶんのう、ぶんおう、紀元前1152年-紀元前1056年)

 うひょぉ〜(涙)

 八卦では、五葷が人間の五臓腑に対応しており、五葷は凶悪性を伴うので、それぞれの五臓の真気が破壊されるとしています。
 例えば、ニンニクは心臓。ネギは腎臓。ニラは肝臓。などなど

 なんで凶悪性なの?って思ってたけど、ふつうに死んだ人のではなく殺した人の肉饅頭から出た芽となると…。いくら野菜とはいえ…食べれないと思ってしまうのは、ビーガンだけではないと思います(涙)


3 件のコメント:

  1. 五葷を調べていてこのページにたどり着きました。
    日本でも張光壁師の弟子たちは五葷を食べない生活をしていますね。
    私も数年前に日本のあるお寺で張光壁師の弟子より、五葷が健康に良くないことを教えていただきました。それ以来実践をしております。

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  2. >>匿名さん、コメントありがとうございます。
    肉饅頭の件は、日本の張光壁師のお弟子さんに教えていただきました。
    しかし、ワタシ自身、なぜ五葷が悪いのか、肉饅頭の件だけでは納得には及ばないのです。普段食でないのは確かだと思い、考えを推し進めてみました。続きはブログで http://hot-lava-japan.blogspot.jp/2017/01/blog-post_11.html

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  3. とても詳しくありがとうございます!
    私もかれこれ13年前からお肉魚、ごぐんは食べていません!張光壁の話は初めて知りました。
    とても心に訴えかけられる内容でした。

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