2020年3月5日木曜日

虐待を楽しむ人たち

介護士や看護師が、高齢者や精神疾患者を虐待する


珍しいニュースではなくなった。

10年ちょっと前の爪切り事件のころからだったろうか…。
看護師が高齢者のを切るフリをしてわざと剥がしたと内部告発が裁判にまでなった事件。
弱者に手を差し伸べる立場の人が、助けるべき弱者を虐待する。
何かの間違いでは?
過酷な業務のストレスで…つい…なのかとも思った。
結局、この事件は無罪判決となったが、この十数年、高齢者施設等での虐待のニュースは後をたたない。

教師が子どもを虐める事件も後をたたない

例えば、いじめを行う教師は生徒の社会的背景を分析している。
親の職業は?
母子家庭か?
親戚等に議員や権力者はいないか?
自分より完全に弱い立場の生徒(親の背景含む)を選び…虐める。
しかし、(最近の生徒はスマートになっているのか…)
最近は、教師が教師を虐めている。



人の本性には「善悪」が入り交じっている。

自分より弱者に優しくできる人であっても、
自分より弱者を虐めることができるかもしれない。
弱者を虐めているうちに、自分が強くなった気がするのか、気持ちよくなるのか、楽しいのか、ゲーム感覚になる

同じ人間にはできなくても、種が違えば虐待できる

例えば、家畜の立場は完全に弱者。
家畜の面倒を観る立場の者が家畜を虐待する。
過酷な労働のストレスで家畜にアタるのではない。


彼らは家畜への虐待行為を楽しんでいる。

イノシシなどの狩りをする人は、害獣駆除という大義名分のもと、追いつめて殺すことがゲーム(楽しさ)になっている。
虐待を商売にしている缶詰ハンティングを考えれば「違う」とは言えない。



気持ち悪い…
そういうことが、あちこちで起こっている

過度のストレス社会
エネルギーを抜かれた食事
愛のない人間関係

そんな環境にいる人間たちの本性に「善」は宿り難い
「虐待を楽しむ人」になりやすい彼らは「善のある人」のフリもずば抜けている


高齢者を収容した施設で働く人は、相変わらず不足している
「仕事」にプライドを持ち、低賃金でもどうにかこなしてきた先人たちの思いは、相変わらずの低賃金で踏みにじられてしまった。
もうすでに「仕事」ではない

ゲーセンはゲームを楽しむために「お金」を払う場所だけど、
ゲームを楽しんだうえに「お金」ももらえる…
施設がそういうところだと「あの人たち」に認識されてしまうと

閉じ込められた弱者は、虐待の対象となる
家畜たちのそれと同じ構造

人の本性には「善悪」が入り交じっているからこそ、現代人は「ヴィーガン」になるべきだと思う

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