2011年7月6日水曜日

異形のモノたち

 ある日、私は生活に疲れ果て人に会いたくもなくなり、ひとりぼっちの世界に迷い込み、ついに自分が誰なのかわからなくなってしまった。そして、とても狭い暗闇の淵に立ち、その淵の下に果てしなく続く穴の中へ飛び込むべきかと迷ったとたん、私の口を伝わって小さいメロディが声もなく、おずおずと出てきた。

 それは私のとても大好きな子守唄だった。

 私は自分が誰なのかを少しだけ思い出して、歌詞をそろりそろりと歌ってみた。
 すると私の眼からほろりほろりと涙がこぼれ落ちてきた。大きな声で歌うと涙も大きくなり、私の立っている淵に塩辛い洪水が押し寄せ、私はついに暗い穴の中に落ちてしまった。

 息もできず細くて暗いトンネルをどれくらい旅しただろう。ただ唄を歌うことだけは忘れなかった。私は白い大きな部屋に放り出され、小さなプラスティックの箱の前に立っていた。

 少し正気になって周りをよく見ると何千もの透明なプラスティックの箱が積み上げてあった。その箱の中に一匹ずつ入っているモノたちは実験動物のようでもあるし、新種の生き物のようでもある。皆それぞれ微妙に形が異なるのに、口々に唱えている言葉は同じだった。私は歌うのをやめて、耳を澄ませた。

「出して、出して...」

 小さな箱に閉じ込められている彼らの表情は不思議と哀しそうではなかった。箱の中からのシュプレヒコールにあわせ、全ての箱がかたかたとうごめいていた。
 その幾多の箱のひとつから小さな生き物が脱出し、ちょろちょろと走っていく。その先には白いローブをまとった髪の長い美しい少女が倒れていた。私も走り寄り彼女に声をかけたのだが、彼女はぴくりともしない。死んでいるようではないのだが、動かない。

 私はどうしたらいいのだろうと判らなくなり、プラスティックの箱の中で必死に生きているモノたちに聞いたが、彼らはシュプレヒコールをくり返すだけで、その声は私の耳に入り、細くて暗いトンネルを通り、それが私の胸の奥にたどり着いたとき、私は自分が何ものかを思い出し、私の心臓がとくとくと動き始めた。

 次々と湧き出る赤くて暖かい血はシュプレヒコールをのせ、体の隅々まで走り、私の四肢が感覚を取り戻したとき、私は真っ白な世界に放り出された。眩しすぎて瞳が痛かった。目を閉じるとまぶたをとおし赤い世界が広がり、私の中に怖さと安らかさの入り交じった感覚が広がり不安になったので、少しずつ、少しずつ目を開けると、雨上がりの澄みきった青空が私を包んだ。

 それ以来、プラスティックの箱の中のモノたちは私の体の中でシュプレヒコールを続けながら生きている。あの倒れたままの少女が息を吹き返してくれるまで、あるいは奇妙な生きモノたちが本来の姿で生きていける日がくるまで、はたまた私が倒れ息をしなくなるまで、そのときまで私は少女の代理人として、その異形のモノたちの世話をしなければならなくなった。