2018年10月26日金曜日

星の子守唄 (詩)

 たゆたふ魂を抱え
 軽妙なバランスで闇に浮かぶ慈愛の星に
 恩送りのために生まれ落ちてきた
 我々は我先にと生まれ落ちてきた

修羅たちは、
蒼い山を奪い合い、碧い海を奪い合い、
青い空を奪い合い、薄青の水まで奪い合う。
修羅族は次々とアオ色にラベルを貼っていく。
ワタシはワタシのラベルをさがす。
ワタシも修羅。
アオ色は輝きを失い、この世から全てのアオが消える。

朱色に昇り緋色に沈む太陽も、
深紅の鼓動を打ち流れる血潮も、
赤子も赤心も修羅たちに喰い尽くされる。
ワタシは生命力(いのち)を喰うために、咲き乱れる海紅豆に情熱をさがす。
ワタシも修羅。
アカ色は輝きを失い、この世から全てのアカが消える。

皐月の麦畑、向日葵、黄金に輝く銀杏の葉、地に降り注ぐ陽の光、黄昏に浮かぶ月、夜の帳に瞬く星、
修羅たちは金色だったものを嘘色に塗り替える。
ワタシは生きるための希望を探す旅に出たが、黄泉の国も修羅だらけ。
ワタシも修羅。
キ色は輝きを失い、この世から全てのキが消える。

輝きを奪われた色たちは、永遠に影としてこの世に縫い付けられ、修羅たちの餌食となり、この世はついに闇となる。
ワタシも修羅。
修羅たちは闇夜を闇にする努力を惜しまない。

凡夫はこの星の責務も明日の義務も放棄して、吾の好奇心を満足させるために修羅と化す。
ワタシも修羅。
絹を身に纏い、毛皮の敷物に座し、象牙の箸で肉を喰らい、この星に生まれ落ちた喜びを忘れ、恩送りも忘れ、宴に酔いしれる。

 たゆたふ魂を抱え
 軽妙なバランスで闇に浮かぶ慈愛の星に
 恩送りのために生まれ落ちてきた
 我々は我先にと生まれ落ちてきた

 くたばりかけてしまった慈愛の星は
 いつかいつかいつの日か
 修羅たちが慈愛に満ちる日を信じ
 彩に輝きを与え続け
 息も絶え絶えに唄い続ける

 木霊が星の唄を抱え走り続ける

2018年10月23日火曜日

義弘公詣り(妙円寺詣り)

鹿児島では、10月に「妙円寺詣り」という変なイベントが開催される。

何が変かというと…

「妙円寺」という「お寺」に詣ると言いながら、実は「徳重神社」という「神社」にお詣する。

宗教観のナイ日本人とは言え、変過ぎる。

内容は「関ヶ原合戦の恨み節」イベント。
関ヶ原合戦の前夜を記念して、旧暦の9月14日に、鎧武者の格好をした行列とともに、数キロもしくは20kmを練り歩く。

むかしは、お武家さんの家系だけに許された行列行進だったが、少子高齢化で武士だ農民だと言っていられなくなり、外人さんでも女子どもでも歓迎している。

とは言いながら…

このイベントの支度揃えや打合せ時期になると、武士の生き残り子孫の大御所がよろよろと…大いばりで出てきて、兜の被り方がなっていないとか、並び方がよくないとか、お辞儀の仕方がダメだとか…子ども相手にきぃきぃと怒鳴り散らす。


「武士は嫌いだ」とつくづく思わされる時期。

さて、この「妙円寺詣り」というなイベント。
武士の子孫たちだけが好き勝手にやっていた頃は、夜中を通して歩いていたらしいが、教育のためにと学校が参加するようになり、昼間に歩くようになった。
ワタシも小学生のころ、残虐非道な歌詞が綴られた「妙円寺詣り」の唄を唄わせられ、
20kmを歩かされた記憶がある。疲れ果てたが、小学生だったので、その歌詞の意味などさっぱりわからなかったことが不幸中の幸い。

そのうち、徳重神社のある行政区の主導(伊集院町時代から合併後の日置市)となり、10月の第4日曜日に開催、学校は自由参加になったので、ワタシはバカみたいな行進から解放された。

しかし、今年は業務上、地域の子どもたちと一緒に御詣りすることになってしまった。
嫌だった。しかし、子どもたちのことを思うと避けられなかった。
だから、調べた。

判ったことは
・島津義弘公の武勇に対して御詣りする祭り
・関ヶ原合戦の「敵中突破」(義弘公の家臣の捨身の精神)が伝説になりやすい
 →「敵中突破」伝説は、日清日露や太平洋戦争の若者の意気を挙げる話に利用されたのではないか?(話されている内容と事実が違う)
・「妙円寺」は廃仏毀釈の11年後に復興しているのにも係わらず、寺号のついた「妙円寺詣り」について寺にはなんの打診も無い
・「徳重神社」は廃仏毀釈で焼かれた「妙円寺」跡に2年後に創建、妙円寺にあった義弘公の木像を御神体にした(木像は寺が焼かれるとき檀家の方が必死に護ったモノ)
 →義弘公の木像は妙円寺に返却すべき

こんなことは地元の歴史家は大昔から超知ってる。
知ってるのに知らないふりして何十年も「徳重神社」への「妙円寺詣り」を続けている。
ぱ〜としか言いようがない。情けない。

ある郷土史家に「変じゃナイですか?」と聞いてみた。
「たしかに変だけど、いまさら変えられないよ」の一言。

が〜ん

「せめて、名称を『義弘公詣り』とそのものズバリにしてはどうですか?」
「全国発信してるから、いまさら変えられないよ」の一言。

が〜ん

「神社もお寺も関係ないようだし、本来の旧暦行事から市民参加型で10月第四日曜の行事にしているなら、ハロウィンも一緒にして、武者行列にいろんな仮装で行列行進してみてはどうですか?」と斬新な案をだしてみた。
「……」(回答はなかった)

そのほうがどれだけ楽しい祭りになるだろう…。

しかし、今年はその想いは胸に秘め、とにかく子どもたちにこの御詣りの意味や意義を伝えて一緒に歩くことが業務。

いままで、3週間毎日(合計18回)、90分の練習時間だったのを
ことしは、1週間に2回(合計6回)、30分に縮小した。それで充分。

30分に縮小することで「武士の生き残り子孫の大御所」がお話する時間をなくした
そのかわりワタシの説明の時間を5分もらってパワポで子供用にアニメを駆使し、妙円寺詣りと言いながら徳重神社に詣ることを伝える一方で、義弘公の知られざる優しさや偉大さを伝えて、こどもたちに彼を身近に感じてもらった。
子どもたちは大喜びだったし、練習時間の縮小は保護者にも感謝された。

しかし

プレッシャーや理由の判らないクレームなども…来た来た来たぁ〜だった(涙)
ガチガチの郷土史家やヨロヨロの武家の子孫たちの臭いがプンプンした。
正々堂々と意見も言えない輩どもだ

「無視するに限る」という結論に達し

御詣りの当日は「徳重神社」だけでなく、「妙円寺」にも詣ることにした。
またもや「今までやったことがないので…妙円寺に詣るのはダメ」
ダメダメが来たぁ〜だった

しかし

こどもたちにちゃんと教えているので、子どもたちは「どちらも御詣りした方が良い」と結論を出している。

ワタシは洗脳したわけではない。

ガチガチ、ヨロヨロの重鎮たちは、黙ったまま、人の足をすくって倒す技に長けている。
とにかく、子どもたちにとって楽しくない御詣りをしないように…と願うだけ。

練習日はあと2回。
行事は10/28(日)