2013年10月29日火曜日

狩ガール

「狩りガール」 
こんな記事を書くのも、彼女たちのことをお知らせしているようで、決していい気分はしないのだが…。
そうも言ってられないくらいのにぎわいを見せている。 先日、ミニコミ紙に書かせていただく機会を得たので、下記の内容を掲載させていただいた。



野生動物や家畜を屠殺、解体する女子のことを「狩りガール」と言う。 
このお嬢さん方のことを「自然派、命に向き合っている」とメディアも紹介。 
各地で講演や実演などもしている。 

ブログなどで、自身の生活を独特の表現で紹介し、老若男女の多くのファンを獲得。 
例えば「普通の女子が鴨を絞めてお雑煮にしたよ」とか「うさぎはかわいい味がした」そのウサギの皮をなめしPARCOに展示して「みんなにみてもらってよかったね、うさぎちゃん」他にも「(猪解体時に)ウルフルズを流すとくじけずに最後までできる」など。 

屠殺や解体を楽しんでいるようで猟奇的だと反対する人もいる。 
ならば、殺すとき、猟奇的でなければよいのか? 
現代の屠場のように機械的に殺すことは? 
かわいそうだけど…と心を込めて殺せばよいのか? 

20年くらい前から教育現場では、鶏などの家畜を育て、屠殺、解体、食べる「命の授業」を展開している。この最たるものが小学校で行われた「豚のPちゃん」。2年半の間、毎日、名前を呼び世話をすることで「小学生」と「豚」との間に信頼関係ができてしまい、食べれないと子どもたちは悩んだが、結局、Pちゃんを「屠殺場」行きのトラックに載せた。 

 「かわいそうだけど心を込めて」送り出せばよいのか? 

これらの根本には「殺されて当然の生き物」という考え方がある。 
殺し方にこだわり、殺すことに慣れることが一般的だと教える社会がある。 
「命の区別・線引き」つまり「スピーシズム」教育。度を超せば、過激な「愛国主義者」にもなる。 

大河ドラマ「八重の桜」は、銃を持つ女子のカッコイイ演出をして、大和撫子が銃を持つことを正当化した番組。 

 世の中、殺せ殺せのオンパレード。 



一方、人間の良心は「殺生」に心を痛めるようにできている。とくに女性は「命を産み出す」ので、その気持ちは男性より強い。 

昨今は、重度の肉食(=殺生)などで良心も曇り、人は自身の心と会話もできなくなってきた。 
本来は「殺されてよい命」「殺してよい命」など、ひとつもない。 
すべてが、かけがえのない「命」。 

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

去年から国は「自然にやさしい」というキャッチコピーで「狩猟」講座を開始。若いハンターを増やすことが目的。殺しのどこが「やさしい」のか? 
猪や鹿を害獣と差別、駆除する前に、彼らがすめる山にする方が「自然にやさしい」と強く思う。 

  「動物を殺す事は人間を殺す事と同じ」ー レオナルド・ダ・ヴィンチ ー 


2013年10月9日水曜日

命にむきあう

命に向き合うことは、狩猟であり、肉食であると結論づけて終わりになっている社会がある。
その結論は早急すぎるのではないか?と思う。
下記は、紆余曲折して、ビーガンを選択した「散文」。
いま思うと、こういうのも「命に向き合う」ってことかも?と思った。
拙文ですが、読んでくださるとうれしいです。

幼い頃は、ヒトと動物の隔てがわからない
かわいい牛は食べられるために育てられている
そのことを知った時の驚愕

「お肉食べれな〜い」
「お肉を食べないと大きくなれませんよ」
「いやだ〜」

でも、子どもは肉を食べないことを選択できない。
食卓に出てきたものは
「感謝して、ありがたくいただく」と教えられた。

「牛さんは、食べれれな〜い」
「お肉になった牛さんだから、食べないとかわいそうよ」
「……(TT)…もぐもぐ。。(TT)」
何度も、何度も、毎日、毎日、何も考えずに、お肉食べた。

「かわいい牛さんは、わたしの血となり肉となって、生き返っている」
何度も、何度も、毎日、毎日、何も考えずに、お肉を食べた。

「……。」
何度も、何度も、毎日、毎日、自分を納得させながら、お肉をたべた。

そして、ついに、笑いながら、お肉を食べてた。

ある日、わたしのからだの血となり肉となったはずの動物たちが騒ぎ出した。

「お肉を食べないことを選択できるよ」

あのバラバラの肉片になってしまった仲間たちも
この世に生があったときは、
そよ風やひだまりを気持ちよいと感じたり、
母親から愛撫される喜びや
食事をするときの楽しみを感じていた
わたしたちと同じように…。

「そうだった。もう、お肉を食べるのをやめよう」
わたしは決意し、謝罪した。

屠殺場へ連れられていくとき、どんな気持ちだったろう?
屠殺場で、処刑を待つとき、どんな気持ちだったろう?
殺されるときは、どんな恐怖がおそってきただろう?

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
何度も、何度も、毎日、毎日、謝っても……
わたしたちの罪は消えない。

罪は消えないけど
これ以上、罪を作らないことができる。
ベジタリアンになる。ビーガンになる。
「もう、お肉を食べなくていいんだよ」

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【命に向き合う映画】 カチンコ 「アースリングス(earthlings)」(95分) 

動物とヒトとのかかわり、ヒトが動物に強いていることなどが、セクション別に描かれており、判りやすい。 
H・フェニックスの声もよいし、なんといっても、モービーの音楽がいい。ムード 
この手の記録映像は、間違えば、衝撃的映像で終ってしまいがちだが、音楽の力で観客をひっぱっていく。 
監督のショーン・マンソンさん、ナレーターのホアキン・フェニックスさん 
音楽のモービーさん、他,製作に関った方々、全員ビーガン。ぴかぴか(新しい)ハート達(複数ハート)

わたしは、後半部分から、声をあげて、 泣きっぱなしだった。泣き顔 


こんなに慟哭する映画は、初めてだった。泣き顔 

これを、残酷な映像だと言うかたがいたら、 
こういうことが、毎日、行われている事自体が 「残酷」なのだと思う。 

ぜひ、大切な方と一緒にみてください。むかっ(怒り)ハート達(複数ハート) 



  



2005年製作 

ボストン国際映画祭をはじめ、いくつかの映画祭のドキュメンタリー部門で最優秀賞 
監督・製作・脚本:ショーン・マンソン      
ナレーター:ホアキン・フェニックス 
音楽:モービー